明智光秀公と福知山踊り


 

 

昔々、400年以上前の天正年間

 

明智光秀が織田信長の命により、丹波地方を平定するに及んで

亀山(今の亀岡市)と福知山の、二城を恩賞として領することとなり、光秀福知山城を大改修の際、城下の者が石材や木材を運ぶのにドッコイショー・ドッコイセーと手振り、足振り面白く唄いだしたのが、そもそもの始まりであると伝えられております。

 

其の後 消長はあったと考えられますが

現在の踊の形に統一されたのは慶応の頃であります。

音頭の曲については、朝来地方情趣を多分に取り入れた独特の節調をもち踊りは優雅で、地方民謡らしい素朴さがあります。

 

昭和28年8月

東京神田共立講堂に於ける、産経新聞社主催 全国民謡大会に参加。

2位入賞を果たし、全国的にその名を知られる様になりました。

近年では平成5年9月に、ドイツにて開催されたイベント『日本週間』で福知山踊りを披露し、盛んな声援を受け大成功を収めております。

 

明智光秀公は「本能寺の変」による謀反人のイメージが強いと思いますが、福知山市民にとっては、地子銭免除令や由良川の氾濫を防ぐ治水事業を行うなど、善政をしていた人物として慕われています。